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花桃街道


花桃街道

hanamomo kaidou



ドイツから南木曽町、そして清内路へと運ばれたこの花桃を清内路の住民が少しづつ増やし、ここから全国へと広めてきました。
現在では、県内外で3色に咲き分けた清内路産の花桃が咲いています。

花桃街道の歴史

[ 1922年 ] 木曽川を開発した木曽発電臓社長で福沢諸吉の娘婿にあたる福沢桃介さんが、ドイツのミュンヘンに行った際に、庭に咲いていた3色の花桃の美しさに感動し、自分の名前に似た花の名であることから、3本の苗を購入、大桑村の須原発電所構内に植える。

[ 1945年 ] 須原発電所に長年動めていた妻龍宿(現南木曽町)の藤原長司さんが美しい花挑を何とか増やしたいと思い落ちた実を拾い苗木を育て、妻龍の同道256線沿いに植える。これが「花挑街道」の始まりと言われている。

[ 1974年ごろ ] 妻龍宿から清内路村(現阿智村済内路)に嫁いだ大宮トメさんが嫁人り道具のーつとして手にしてきた花挑の木を元に、地域の人が清内路地区に花挑を増やしていく。桜より花の時馴が長く色鮮やかな花挑は清内路の人々に愛され門外不出の花となる。

[ 1991年 ] 園原(現阿智村園原)に地域振興事業として旅館「野熊の庄 白川」を開業。当時社長であった渋谷秀逸さんが、平成3年〜平成7年にかけ約1000本の苗を清内路から譲り受け旅館の周りや村道沿いに植我管理を行う。

[ 2005年 ] 地域住民地元業者(はなももの会)が「花桃まつり実行委員会」が発足し、観光客向けの「花桃まつり」を聞催。

[ 現在 ] 阿智村から南木曽町へ抜ける国道256線「花桃街道」に約5000本阿智村全体では的10000本の花桃が植えられている。「花桃まつり」は毎年加万人の来客があり「日本一の桃源師」と呼ばれる。



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