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文化

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花桃発祥の地
ドイツから南木曽町、そして清内路へと運ばれたこの花桃を清内路の住民が少しづつ増やし、ここから全国へと広めてきました。 現在では、県内外で3色に咲き分けた清内路産の花桃が咲いています。 (3枚目の写真は清内路に初めて植えられたとされる花桃)
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清内路の概要
長野県の南部、下伊那郡の西端にあり、東は飯田市南及び西は阿智村、北は木曽郡南木曽町に接し、東西9.1km、南北9.3kmでほぼ菱形に近い形をしています。 海抜は640mから1,636mで、中央アルプス南部に位置し、北方に兀岳(海抜1,636m)、東方には高鳥屋山(海抜1,398m)、西方は恵那山系に囲まれています。 交通は村をほぼ南北に国道256号線(中津川、茅野線)が走り、これを基幹として道路網の整備が進んでいます。 <平成30年1月1日現在> 【人口】570人(男276人 女294人) 【世帯数】234戸 【高齢化率】41.23% 面積:44.16K㎡ 標高:763m(阿智村役場清内路支所)
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清内路の歴史
明治維新前は徳川氏の直領(天領)で、美濃の国久々里代官千村平右エ門の支配下にありました。 明治元年名古屋藩取締となり、同2年には伊那県直轄になっています。 明治8年には隣接する村と合併して米川村となりましたが、明治13年に独立しています。 明治18年山本村他4ケ村と合併した後明治22年に分離し、平成元年には村政100周年、平成21年には村制120周年を迎えています。平成21年3月31日に阿智村と合併し、清内路村はその歴史に幕を降ろしました。
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清内路街道
開設されたのは永年時代(約500年前)頃と伝えられ、公用物の継立の道であり朱印状を持った役人が通行する一方で、善光寺参りや御岳行者等の旅人が歩いた信仰の道でもあった。水戸浪士の通過を始め歴史的背景が多い道です。
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清南寺
享保15年、飯田の善勝寺の掛所として許可され、翌16年に本尊を京都にお願いし、元文3年(1738)に本尊を迎えました。 またこの清南寺がある上清内路地区にはお墓が一つしかない「一山一墓」制です。どんなに仲が悪くても良くてもみんな一つのお墓に入ります。 亡くなっても、家族に友達に出会えるため、さみしくありません。
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出づくり
下清内路地区に見られる全国でも珍しい独特な文化です。集落内付近には耕地が少ないため、養蚕と煙草栽培、山畑づくりのため4月末~10月頃までの半年余りを、集落内の住居から山腹にある家に移り住みます。これを「出づくり」と呼んでいます。
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観音講
毎年4月27日に行われる。三十三体の観音様がきれいに飾られます。
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山頭火
山頭火は放浪流転を繰り返し、各地で旅の人生を送りました。清内路には昭和9年に訪れ、現在の長田屋商店に宿泊しています。また、全国で44番目の碑が設置されています。 他にも清内路には6つの碑があります。 【七々平】 山深く蕗のとうなら咲いている 【長田屋商店前】 おだやかに水音も暮れてヨサコイヨサコイ 死ぬるばかりの水は白うながれる なんとかたいつぼみでさくら音頭で 【平瀬】 山なみ遠く信濃の国の山羊がなく 飲みたい水が音たてていた 【一番清水】 山しずかなれば笠をぬぐ
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清内路関所跡
当時、関所は日本全国で53ヶ所定められ、信州では7ヶ所が定められた。清内路関所はその1つ。武田信玄が設置されたと言われ、1601年徳川幕府が現在の跡地に移転している。敷地面積400㎡、建物面積150㎡だった。
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